Der Lezte Tanz

観劇、映画鑑賞、読書のキロク。たまにひとりごと。

2022.6.12 スペクタクルリーディング「バイオーム」マチネ公演:花開いた新たな試み

「バイオーム」千穐楽回を観劇しました。


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このメンバーを集めて5日間しか上演されないのはもったいないな~と思ってましたが、勘九郎さん・花總さん・麻実さんは特にしんどそうな役柄だったので、このくらいの公演数が妥当なのかもしれないですね…。

 

「スペクタクルリーディング」シリーズとして企画を立ち上げているようで、今回がその記念すべき第1回だったので、とりあえず実験的に上演してみる、という意味合いも大きそうではありました。

 

初見でかなり衝撃が大きかったので、2回も観るのか~という気持ちが強かったけど、その衝撃を次の日にひきずるのは全くなくて、例えば「フェイクスピア」のように、次の観劇日まで作品のあれこれを考察するということもありませんでした。

 

前回の観劇時、自分の中で何がしんどかったかって、2幕の終盤の怜子の一連の強烈なセリフを、具体的に脳内で想像してしまって勝手に気持ち悪くなってたのが大きかったような…。小説を読むときに文字情報から映像を頭に浮かべて読むタイプなので、今回この作品を観て、演劇における回想などの説明セリフも、脳内で映像化してしまうことに気づきました。なので「うげぇ……」ってなってしまったんだと思います。

 

でもそういうセリフがあることを把握してればしんどくなることもなく、脳内で想像することも意図的にやめることができたので、2回目はとにかく感情が引っ張られないよう、徹底して「目の前で起こる事象をただただ眺める」という見方にしてみました。作品の世界観に合わせるのであれば、「植物になった気持ちで観る」というスタンスで。

 

2回目ということもあり、結末を知った上で観た方が断然楽しめました。特に人間パート。ふきさんのセリフが、全部違った意味を持って聞こえてきたなぁ…。

 

今回脚本を書かれた上田先生としては「特にメッセージ性やテーマは持たせなかった」そうなんですが、ともえの主張が妙に政治批判っぽかったり、植物を自分都合で切ったり捻じ曲げたりする人間の身勝手さも、「人間の醜い部分を煮詰めてみた」という印象が強かったです。宣伝文句が「一つも美しくない物語」でしたし…。

 

以下、自分なりに気づいたことと感想メモです。

*考察とも呼べないくらいの「気づき」をメモしているので、無駄に長いです。これでも3分の1くらいは削ったんですけど…。

 

勘九郎さんのルイ/ケイは別として、一人二役である意義、というよりかは植物と人間でなんとなくキャラクターがリンクしているのは面白かったです。

 

麻実さんは【ふき/クロマツ】。

ふきさんは、元はあの一族の人間ではないけれど、一族を克久の若い頃から見守ってきた人であり、怜子を生んだことで(こっそり)一族の仲間入りを果たしてた人。最後まで観ると、崩壊しそうな一族を何とかつなぎ留めていた「調和の要」でもあったんだとも思いました。崩壊の原因を作ったのも彼女ではあるので、そのあたりは異なるけど…。

 

クロマツはあの庭の「調和の要」として太古の昔から存在していて、あとからあの庭に入ってきた植物たちの「リーダー」のような大樹でした。クロマツが切られたことがきっかけで、ふきも長年押さえつけていた感情が噴出して、結果一族の終わりを招いていました。

 

花總さんは【怜子/クロマツの赤ちゃん(新芽)】。

キャラクターは全然違いますが、クロマツを麻実さんが演じているので、「怜子は実はふきの子供だった」という部分とリンクしてるのかなと。きっと怜子だってクロマツの赤ちゃんみたいな時代があったはずなのに…。クロマツの赤ちゃんは、最後にセコイアから落下したルイにつぶされてしまいますが、あの世(?)にルイを一緒に連れていくのも、怜子とルイが愛せず愛されずの親子だったことを考えると、ちょっとは救いなのかなと思いました。

 

成河さんは【学/セコイア】。

どちらもその家や庭にとって「外来種」であることが共通項なんでしょうか…。

 

野添さんは【克久/クロマツの盆栽】。

花總さんと同じくキャラクターは全然違うけれど、学のようにあの一族に優秀な婿養子として迎え入れられ、肩身の狭い思いをしながら(自然に赴くままの形ではなく)「歪められてしまった」のが共通項のようでした。

 

安藤さんは【ともえ/りんどう】。

りんどうはあまりセリフもなく、正直存在感は薄めだったので、強烈キャラのともえさんとのリンクする部分って何だろう?って思ってましたが、りんどうは昔から薬草としても使われていたようで、(効果のあるなしは別として)花療法士として人を癒すともえさんと、りんどうはリンクしてそうでした。

 

唯一関連付けがよくわからなかったのが、古川さんの【野口/一重の薔薇(イングリッシュローズ)】。

そもそも薔薇は「女性」だったのか、それとも「性別は男性だけど心が女性」だったのか、植物なので性別とか関係なくただああいうキャラだったのか…。無理やり結びつけるとすると、薔薇はしょっちゅうルイに踏みつぶされてたこと、野口は怜子にいいように使われてたことで、どっちも尊厳なさそうなではあったかなと。

 

あと「つかみどころのない人」というのは共通項かもしれません。薔薇は「男性なのか女性なのか曖昧」で、野口は「怜子が言うような純粋すぎるおバカさんだったのか、本当はすべてを知っていた策士だったのか曖昧」かなと。

 

・それぞれのキャラクターのその後についてもちょっと考えてみました。

 

怜子とルイは亡くなったとして、克久と学はどうしたのか。あの家ごと取り壊して売り出す…ということは、また別の場所に住むわけで、克久も学も、長年「あの家」にいたことでもう治せないレベルで「歪んでる」はずです。怜子とルイが亡くなってなお、「家」や自分の地位・名誉の再興に死ぬほど力を尽くしてそう…。

 

ともえさんは、怜子を亡くしたことに対しては少なからずショックを受けてるだろうけど(花療法士として失敗したとも感じてそうですし)、正直せいせいしたという気持ちが強いんだろうなぁ。

 

野口はめちゃくちゃすっきりしてそうに見えて、でも実は怜子への執着がまだ残ってそうに感じました。でも彼もずっと歪んだ人間模様を目の当たりにしてきた人だし、いわゆる「普通」を知らないと思うので、行く末はあまり明るくはなさそうです。

 

・ルイ/ケイは植物の「類」とか「系」が由来なのかなと思ったんだけどどうなんでしょうか…。

 

・1幕は基本的に植物たちが人間模様を実況中継(?)してるのに、2幕のクライマックスシーンをルイが実況してたのは、彼がすでに人間という形を手放し始めていたから?自分の母親もその場にいるのに、「人間たちは汚い音を立ててぶつかり合っていた」と、かなり客観視したセリフが気になりました。

 

・怜子はふきさんが母であることは、本人に打ち明けられるまでは本当に知らなかった、という解釈で合ってるんでしょうか…?ふきさんに対して「ついに本性を表したわね!」みたいに言ってましたが、それはあくまでも、ふきさんが怜子の前ではどんなことがあっても冷静沈着だった、けれどそれが怜子には「この家や自分を支配しようとしている」ように見えたってことですよね?

 

・ふきさんの母性がついぞ溢れてしまう瞬間、すごく悲しかったです。パンフレットには登場人物の年齢設定も細かく書いてあって、怜子は40歳らしいので、40年間、どんどん狂っていく娘を、ふきさんはそばで見ていたってことですよね…。半ば自業自得とはいえ、よく感情を抑えてられたなと思うと同時に、それだって「母性」があるからできたことなのではとも思いました。

 

・ちなみに野口は37歳らしく、意外と年齢いってたんだなと。怜子に「小さい頃から自分(怜子)を目の当たりにするとソワソワしてたわよね~」なんて言われてたので、てっきりかなり年上のお姉さんに恋する少年的な感じかと思ってたら、まさかの3歳差。年齢差ある方が背徳感ありそう…と思ったものの、そうするとふきさんの年齢が謎になりそうなのでしょうがないのかな…。

 

勘九郎さんガチで8歳にしか見えなくて(特にパパとのシーン)観てると脳内がバグりそうでした。本当にすごかった…。

 

・花總さんの狂乱のお芝居、初日の100倍くらいヤバくなってて、あの調子だと「エリザベート」でシシィだけじゃなくヴィンデッシュ嬢もできてしまいそうでした。高笑いが脳内に反響し続けてトラウマになりそうだったな…(でもシシィは「狂えるほどの勇気が欲しい」って言ってたし、気の向くまま狂えた怜子はまだ幸せだったんでしょうか)

 

・初日ですでに完成されてたはずの成河さんの芝居が、さらにエグくなってました(真顔)ルイに優しく接するパパの顔と!!!!!!!!!!不倫相手に欲望丸出しな男の顔と!!!!!!!!!ギャップすごすぎて風邪ひいちゃう!!!!!!!!!!!!成河さんの芝居見てると心の中がエクスクラメーションマークでいっぱいになります(!!!!!!!!!!!!!)

 

・金持ちの悩みは貧乏人にはわからないし、貧乏人の悩みは金持ちにはわからない。ってこれ、どっかで見た構図のような…「MA」かな…?????

 

・初日では結構いたるシーンで、制作側は意図してないであろう部分でも笑いが起きてましたが、千穐楽は(リピーターも多そうだったので)ところどころで笑いは起きてたけれど少なめでした。怜子が本当に狂っちゃうシーンは、そういえばクロマツの盆栽がいるから笑いが起こるので、一応コミカルにも見せたいシーンなんでしょうか(人間が愚かで滑稽である、というのも含めて見せたいのかも…?)初日では笑いが起こっていた、野口が殺虫剤を撒くシーンは、明らかに植物の苦しみ方が大きくなってたので、人間が良かれと思ってやってることが植物を苦しめてるということが、前よりもはっきりわかるようになってました。

 

・カテコで我先にとはけようとする古川さん。何度目かのカテコで一色さんの背中を押しながら登場する古川さん。一色さんに(多分)「話せば?」って言われて「いやいやいやいやいいです」みたいなリアクションする古川さん。舞台上の段差をまたごうとして、ダボダボのズボンの裾をつまんで「よいしょ」ってまたいでた古川さん。

結論:古川さんはKAWAII

 

決して好きな作品ではありませんでしたが、個人的に興味深い作品ではありました。スペクタクルリーディングの第2弾がもしあれば、内容を見てまた行ってみたいと思います。