Der Lezte Tanz

観劇、映画鑑賞、読書のキロク。たまにひとりごと。

2022.2.19 「シラノ・ド・ベルジュラック」マチネ公演:手紙と封筒どっちが大事?

前日ソワレからの翌日マチネ。My楽でした。

 

個人的には前日ソワレの方が断然良かったです。もしかしたら座席位置の問題かもしれないですが、役者さんたちもなんとなくエンジンがかかってないような印象を受けました。

 

古川シラノの冒頭のラップシーンは、前日ほどの熱量や抑揚もないように感じましたし、全体的に感情を少し抑えめに演じているように見えました。というか、前日ソワレ回の感情がとりたてて大爆発してたんだと思います。馬場ロクサーヌはまた嚙んでたし(彼女、私が観た回全部噛んでました…)、銀粉蝶レイラも滑舌やや甘め、いつも1人だけ余裕を感じる堀部ド・ギッシュも1か所噛んでたくらいなので、全体的に微妙に疲れてたのかな…。

 

以下、総括としての感想です。

 

ロクサーヌ=シラノ+クリスチャンじゃない?という勝手な気づき。類まれなる文才を持つシラノと、類まれなる美貌を持つクリスチャン、そしてそのどちらも持っている(けれど「女」である)ロクサーヌ

 

・あの当時「詩を書けること」はある一定以上の人たちにとってはステータスで、ということは詩が苦手(特に女性に対する言葉を発するのが苦手)なクリスチャンは、そのステータスを持った人たちにとって【言葉を持たない人】といった認識だったのでしょうか…。とはいえ、クリスチャンはシラノの鼻を馬鹿にする言葉は湯水のごとく浮かんできてたので、言葉を使いこなす技能が完全に不足しているというわけでもなさそうですが。日本でも平安時代あたりは、確か貴族は和歌や短歌を送って恋愛をしていたようですし、女性側が男性の作った和歌や短歌を気に入らなければ、直接会うこともできなかったはずなので(違ってたらごめんなさい)、ロクサーヌはある意味平安貴族の女性の感覚を持っていたのかもしれません。

 

・クリスチャンといえば、冒頭のシラノのラップや、戦場でのレイラの詩に対して全く何の反応も示していないのは、彼の中で「言葉が紡ぐある種の芸術」に鈍感だからなのかなと思いました。とはいえ、男を罵倒することができるなら、前者には何かしら反応があっても良さそうですが、もしやあれはロクサーヌに見とれてシラノのパフォーマンスなんて耳に入っていないということ…?

 

・ミュージカルは、例えば1曲の中で「このフレーズで感情を最高潮まで持っていく」といったある程度の枠組みがありますが、ストプレはセリフや動きはある程度決まってても、その中でどこを感情のピークにするか、役者に裁量がありそうなので、より自由に芝居できるのかもしれないと感じました。

 

・パンフレット内のインタビューにて、古川さんが「僕は意外と芝居が好きなんです」とおっしゃっていたので、芳雄さんみたいに、いろんなカンパニーのストプレにお呼ばれしてほしい…。古川さんの舞台出演作は「もっと観たい…!」ってなるものが多いんですが、それは作品の魅力と共に、古川さんのお芝居が見ていて楽しいからなのではと、今回思いました。