「シラノ・ド・ベルジュラック」3回目。
すごく好みの作品かと言われると「そうでもないかなぁ…」という感じなのですが、ほぼ歌わない&踊らない&ゴリゴリのメイクもせず豪華な衣装も着てない古川さんが、全力でお芝居するのを見るのが楽しすぎる件。
以下、まとまらなかった感想メモです。
・冒頭の人物紹介ラップ、観劇3回目になっても3分の1は聞き取れなかった……。
・古川シラノの冒頭のラップ、よくぞあんなに膨大な言葉が頭に入るよなあ…とひたすら感心しておりました。
・この回の古川シラノのラップ、ただ言葉を羅列していくだけでなく、声のトーンや声色の上げ下げを駆使してて、さらに聞き応えが増しておりました。「お紅茶を飲むときぃ~邪魔になりませんことぉ~?」の言い方w
・リニエールがド・ギッシュとその手下たちに傷つけられそうになったときのシラノのセリフ、「俺の友達を…作家が自由に書く権利を守りに行く」みたいなセリフがありましたが、友達=作家が自由に書く権利、なんだろうな(小並感)
・NTLiveの告知動画にて、ジェームズ・マカヴォイさんが「これは孤独についての話」とおっしゃってたのが印象的でした。初見の印象では「シラノはみんなに一目置かれてて、結構楽しそうにやってるのになぁ」と思ってたんですが、彼は誰のことも「友達」とは思ってなさそうで(ル・ブレとレイラには多少気を許してそうだけど…)、友達なんていらないって思ってそうでした。そういう意味で「孤独」な人なんだな…。
・ル・ブレもレイラも、シラノの鼻について言及していて、特にル・ブレなんて本人の前で茶化すので、「君そんなキャラだったんか?」ってちょっとがっかりしちゃうんですけど、唯一ロクサーヌだけは一切そのことに言及しませんでした。
ド・ギッシュに「あの…鼻の…」って言われると「あぁ、シラノ?」とは言ってるので、彼の見た目が人とは違うことははっきりとわかってはいるけれど、長年一緒にいるからもはや気にもならないのか、それとも従兄弟同士という近さから、「異性」として見ていないので全く気にならないのか。やっぱりシラノはロクサーヌのそういうところに惚れたんだろうか…。シラノはロクサーヌのどこに惚れてるか、明確な理由を言わないんですよね…そもそも幼少期から一緒に遊んでたなら、いつからシラノはロクサーヌへの恋心を自覚したんだろう。
・シラノがクリスチャンに手紙の件を提案するとき、「ゲームに勝とう!」って言うのがめちゃくちゃ引っかかりました。クリスチャンを釣るための誘い文句なのかもしれませんが、ロクサーヌからしてみれば「私はゲームの景品じゃない!」でしょうね…(それは四季版「アラジン」のジャスミンのセリフ)
・浜中クリスチャン、シラノの「手紙作戦」に全然乗り気じゃない様子に見えました。そんな印象だからか、この回のシラノは悪魔のように見えた気がします。そういえば戦場でロクサーヌとクリスチャンが話してるとき、舞台上手にシラノが座ってんですが、彼を照らす照明が紫色で、スモークも焚かれていてなんか不気味でした(&古川さんの視線が何故かずっっっっとこっち向きだったので怖かったです)
・シラノからロクサーヌへの告白シーン。一つ一つの言葉にものすごく重たい感情が乗ってて印象深かったです。個人的にあそこでちょっとでも彼に歌わせたのは解釈違いなんですけど(※)、途中涙のあまりちゃんと歌えてなかったのにはちょっとぐっと来ました。
※歌は言葉を伝える手段ではありますが、歌詞以外にメロディという情報が入ると、かなり印象違ってくると思っています。あとミュージカルで活躍してる人だし、ちょっと歌わせておこうか、的な思惑があるよう気もして…。あ、それこそNTLive版どうだったんだろう。
・告白シーン後、ずっと目をしぱしぱさせてた古川シラノがかわいかったです。
・シラノとクリスチャンのキスは、色んな解釈ができそうでしたが、あれはクリスチャンからの「愛ってこういうことだよ」っていう主張だったのでは…?と思ったのがこの回でした。どんな御託を並べるより、1つの行動が大きな意味を持つ。だから本当のことを言えよ(=ロクサーヌに真実を伝えるという行動を起こせよ)ってことだったのかなぁと。
・最後のシラノとロクサーヌのシーン、ようやく会話が耳に(頭に)入るようになりました。前回まではツッコミどころに気を取られてたので…。ロクサーヌはシラノがしたことに対して怒りを感じながらも、「ケンカは終わり」「私も月旅行に一緒に行ってもいい?」って返してるということは、シラノの想いが通じたとは言えないけれど、少なくとも拒否はされなかったってことで、シラノ的にはハッピーエンドなのでしょうか…?
・シラノの最期も、なんであんな感じなんだろう…って思ってましたが、後ろ盾を持たず自由に詩を作り、誰かの反感を買ってはそこに自分の居場所を作ってきたシラノが、死ぬときだって自分らしく死にたいと思ったのかなと。作家として世間の称賛を浴びることはできず、想い人との恋も成就しないどころか、道化を演じて取り持ち役になる自分が、最期くらい主人公になって死にたいという意地に思えました。でも私は、シラノがロクサーヌに自分の口から真実を伝えず、ロクサーヌが察する終わり方が好きです(この期に及んでまだ言う←)
・ちなみに今回座った座席、座った瞬間妙なデジャヴに襲われ、「もしかして…」と帰宅してから昨年の観劇チケットをざーっと確認したところ、なんと「フェイクスピア」で座った席と全く同じでした。あれだけ座席数があるのにそんなことあるんだな…。
「フェイクスピア」で、「言葉」で逃れられない運命と戦った一生さん、「シラノ・ド・ベルジュラック」で、「言葉」で愛と自由を守るために戦った古川さん。2人ともかっこよかったなぁ。