Der Lezte Tanz

観劇、映画鑑賞、読書のキロク。たまにひとりごと。

小説「人魚の眠る家」:娘を“生かす”ためならば

人魚の眠る家」:東野圭吾

 

(あらすじ)

「娘の小学校受験が終わったら離婚する」。

そう約束していた播磨和昌と薫子に、突然の悲報が届く。

娘がプールで溺れた―。病院で彼らを待っていたのは、”おそらく脳死”という残酷な現実。一旦は受け入れた2人だったが、娘との別れの直前に翻意。

医師も驚く方法で娘との生活を続けることを決意する。狂気とも言える薫子の愛に、周囲は翻弄されていく。

 

(感想)

同じく東野圭吾さんが書かれた「虚ろな十字架」と同様、とてつもなく重たい内容でした。篠原涼子さん主演で映画化もされていますが、ちょっとこれは…見る勇気がないな…。

 

内容はもちろん、薫子のキャラクターの印象が、前半と後半でがらっと変わるのが衝撃でした。

 

前半は、薫子が下す決断に対して、「突然子供を失いそうになった親なら、きっとそうするのだろう」と彼女に同情するのですが、第三者から見た薫子の様子が、中盤~後半にかけて挿入されます。

 

すると、薫子が娘に施しているさまざまな「リハビリ」がいかに異常で、いくら親の自己満足とはいえ、そこまでするのは倫理的に間違っているのではないかと思ってしまいます。

 

クライマックスで、薫子は警察に向かって言い放ちます。

「今私がここで娘を殺して、私に『殺人罪』が適用されるなら私は嬉しい。それは娘がここまで『生きていた』という何よりの証拠になるから」と。

 

もし私が薫子ならどうするだろうか、彼女と同じような行動をとるんだろうかと、考えさせられる物語でした。