Der Lezte Tanz

観劇、映画鑑賞、読書のキロク。たまにひとりごと。

2022.7.18 舞台「2020」マチネ公演:人間とゴリラを隔てるもの

「2020」2回目の観劇。


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前回観劇後にパンフと戯曲を購入して、2回目観劇日の前日に読んでから挑んだんですが、やっぱり翻弄されて終わりました。さらに「一生さん、前回と違うことしてない!?」みたいなシーンがいくつもあって、彼の自由気ままな芝居に\わー!/って振り回された気分でした。

 

 「当たらないための予言の書」に書かれていた人類がたどるルートは「大錬金」と「肉の海」の2つでしたが、結局どちらにせよ「人類が画一化された社会」になって「田山ミシェルとその他人類」「GLとその他人類」という構図になり、「個」が失われた世界になってしまうんですね…。

 

ということで、「画一化された考えに流されて肉の塊になるんじゃなくて、もっと自分の頭で考えて生きていかない?」ってことなんだろうなと、私は受け取りました。

 

今の世界は(特に日本は)上が決めたことに疑問を持ったとしても「はいはい」って言うこと聞く人か、何も言わずに黙り込む人が大多数だと思います。その中でちょっとでも「常識」「普通」からはずれたことをすると責め立てられたり、「空気読む・読まない」という言葉があるように、周りの人と違うことをすると叩かれたりもします。

 

自分の意見を持たず、ただただ流されて生きるのは楽かもしれないけれど、それって本当に自分の人生を生きてるのか、「肉の海」の一部として生きて死んでいくってどうなの?って問いかけられてるような気がしました。

 

カーテンコールを終えた一生さんが最後に捌けるとき、舞台背景の表示が「2020」から「2022」に変わったあと、客席の方に手を差し出して、何か一言つぶやいてたんですが、口の動き的に「どうぞ」と言ってたように見えました。

 

「ぼくがあなたたちに伝えたいことは、この80分を使って伝えました。これを踏まえてこれからどうするかは、あなたたち次第ですよ」ってことなのかなぁと、一生さん(と白井さんと上田さん)に試されている気がしました。

 

 今回は比較的一生さんの芝居を楽しむ余裕もできたかな?というわけで雑感メモです。

 

・一生さんがマスクを着けたまま、客席の階段をとーんとーんとリズミカルに降りてきて舞台に上がり、しばらく舞台上をうろうろしてからおもむろにマスクを外し、客席に向かってにこっと笑った瞬間、それまで張りつめてた劇場の空気がふっと緩む瞬間がたまらなく好きです(長)

 

・冒頭の長セリフ中、電車遅延があったためか遅れてきたお客さんが上手側からも下手側からもぞろぞろと入ってきて、一生さんがアドリブで「今入ってきたように見えるけど、本当は最初からいたのかも~」みたいにいじってたんですが、そのあとのセリフが恐らく飛んでしまったようで、元に戻るきっかけをものすごい勢いで脳内で探してそうな様子でした。

 

変な間が空くことはなかったので、初見の人は気づかなかったと思いますが、明らかに話の流れの筋が通ってなくて、間を持たせようとしてわざと笑い声を挟んだりしてたので、観ているこちらがちょっと冷や冷やしました…。

 

全く狼狽してる様子はなく冷静に見えましたが、「今めっちゃ脳みそフル回転してるんだろうな」というのはなんとなくわかりました。2列目センターブロックだったため、余計目に見えてしまったのかもしれません。一生さんでもあんなことあるんだなと思って妙に安心しました(謎)

 

・「沈黙は金」というセリフは、初見で音だけ聞いて「沈黙は禁」だと一瞬思ってました。直後に「雄弁は銀」と続いたので、あ、【金】かって気づけましたが。

 

これを聞いて思い出したのが「フェイクスピア」のあるセリフ。「火災報知器が鳴らずに沈黙するのは良い沈黙だけど、民衆が黙ったまま声を上げないのは悪い沈黙だ」みたいなセリフがあったよなと思い出し、「2020」で描かれているのは「悪い沈黙」のその先にあった未来ですし、あながち「禁」でも間違ってないんじゃないかなと思いました。

 

・気持ちとか考えという、もやもやしたものを何とか表現するために私たちは言葉を使いますが、必ずしも「気持ち」=「言葉」ではないですよね…。気持ちのすべてを言葉で説明しきれるわけないですし。「表情を使うこともある~」でくしゃくしゃっとした顔する一生さんがかわいかったです(小並感)

 

・「怖いじゃないですか、死ぬのはさぁ」って軽く言ってるようで、GLは何度も生まれ変わってる=何度も死んでるので、その恐怖を誰よりもわかっているってことなんですよね…(震)

 

・前回観劇時は上手2列目だったんですが、「僕と君たちと二人きり」ってセリフで一生さんのウィンクをまともに食らってしまったことをこの日突然思い出しました(衝撃が強すぎたため、記憶から一時的に消されてた疑惑)

 

・「僕はGenius Lui-lui、本名は高h…」で笑いましたw

 

・結局これ→□は何だったんだろう…。

「人間がこの世に登場するようになってから生まれたもの」

「ゴリラは作れなくて人間は作れるもの」

産業革命以降に一気に増えたもの」

「これを作ることが人間を人間たらしめているもの」

…となると、道具…?

 

「もっと良い人生を生きたいと願う気持ち」とかなのかと思いましたが、物理的な【モノ】を指してるような気がしました。

 

・前回もいろいろ考えた、ゴリラの実験の話。穴があることでゴリラは生きながらえたというのが、死が身近にあると逆に生きようとするのかと思ってましたが、そうじゃなくて「穴に落ちたら外の世界に出られるのかもしれない」という希望を持つことができたから、穴がある状況だと生きながらえたってことかなのかも?ゴリラにも想像力はある(らしい)ので。

 

そしてGLにとっては、穴=客席=肉の海で、「自分もその気になればいつでも肉の海の一部になれるし、そちらの選択をすることで新しい道が開けるかも」という希望があるから、切り離されたままで生まれ変わり続けることができてるのかもしれません。

 

・自分で考えたことなのに、誰かがすでにそれを言ってるし、そのことを自分で発見してしまう、というのは、現代人がなんでもかんでもSNSでつぶやくことを揶揄してるんでしょうか?

 

自分の思考を全世界に公開することで、誰かが自分と全く同じことを書いたり言ったりしてることがわかり、それじゃあと自分では何も発信しなくなり、やがて全体が徐々に統一されていくイメージを持ちました。

 

(ちなみに一生さんがSNSを嫌悪しているのは何かの記事で読みました。言葉自体はもっと優しく婉曲的でしたが、なんでもかんでも他人とシェアするなよって暗に言ってたような…)

 

・唐揚げにレモンw「カルテット」見たいなぁ。

 

・ドンゴ・ディオンムの喋り方が、前回よりもぶっきらぼうになってた気がします。

 

・観劇後しばらくしても、田山ミシェルが脳内で熱唱してました。♪不完全な僕だからぁ~~~♪

 

・大錬金を実行する前に田山ミシェルが言う「これでいいって言ったのはあなたたちなんだから。僕の背中を押したのはあなたたちなんだから」というセリフ。きっと今でも現実に起こってることで、明らかに間違いだったり、ちょっとおかしくない?ってことでも、大多数があまり考えずに「OK」って言ったならそのまま進んじゃう恐ろしさを感じました。あの大錬金が実現可能かはさておき、その状況になって誰も異を唱えないってことになるのはありうる話ですよね。

 

・白いボールを客席にぽいぽい投げ始めた一生さん、フリーダムすぎましたwサイン書くフリしてから投げたりしてて、かなり遊び心満載。

 

・終盤のGLの客席への語りが、涙目で熱に浮かされたような話し方だったのがすごく印象的でした。

 

突然一生さんが目の前の通路に降りてきて、落ちてた白いブロックを拾って「君たちが作るこれ。これに触れると何かしなきゃならないって~」てセリフを、そのまま通路で言い始めたのでびっくりしました。「何としてでもこの想いを伝えたい」という気持ちがガンガン伝わってきて圧倒されました。この回のお客さん(私含む)が余程ぽかんとした顔でもしてたんでしょうか。

 

 

この作品のことを、結局わかったようで全然何もわかってない気がしますが、ぼんやり生きてたらいつの間にか「肉の海」になってました、なんて生き方は嫌だなとは思えました。

 

何をするにも「周りはどうか」とか「人がどう思うか」よりも、自分の頭で考えた上で、正しいか間違いかはとりあえず置いておいて行動できる人になりたいです。

 

あ、でもSNSで感想共有するのは今のところやめる気ないです(小声)


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